女同士のふうふです〜彼女と猫さまのあいだ〜

養護教諭×保育士の同性カップルが、猫に服従しながら生きる徒然

【仕事】私が養護教諭になった理由(わけ)|いないなら、自分がなればいい

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こんにちは。具です。
「夢を追いかけてこの職業に!」みたいなキラキラエピソードは皆無な私ですが、職業柄よく聞かれるこの質問ーー「先生はどうして保健室の先生になったの?」

今回は「どうして養護教諭になったのか」という話を書いてみます。なお、今回は昔のブログに書いてた記事を再構成した「リペア記事」になっています。

……とはいえ、あんまり胸を張れる理由でもないので、ちょっとずつ遡りながらお話しますね。

🥼「どうしてこの仕事を選んだの?」と聞かれて、すぐに答えられない理由

 

先生って、なんで保健室の先生になろうと思ったんですか?

——養護教諭をしていると、必ず一度は聞かれる質問です。先日も、生徒から唐突にそう聞かれました。卒業後の進路が目前に迫り、将来のことを少しずつ真剣に考え始めていたのかもしれません。

でも、私の場合、いつもこの質問にはちょっとマゴついてしまいます。
というのも——あまり前向きな理由でこの道を選んだわけではないからです。

🏫原点は「先生を信用できなかった」

子どものころの私は、学校という場所があまり好きではありませんでした。
ひとことで言うなら、友人関係の悩みが多すぎたから。無視されたり、下校中後ろからつけられたり、聞こえるように悪口を言われたり、いわゆる「いじめ」です。

先生へ期待して声をかけたても、拍子抜けしたり、がっかりしたり。そのうち、「先生なんてそんなもん」と思ってしまっていた節すらあります。(それでも、たった一人だけ、信頼できる先生がいました。いまでもその先生には感謝しています)

さらに、保健室で出会った養護教諭たちの印象も、私にとっては正直なところ、あまり良いものではありませんでした。

🏫小学校時代:忘れられないひとこと

あれは小学校の視力検査の日。体育座りで検査を待っていたときのこと。

養護教諭の先生が近づいてきて、突然私にこう言ったのです。

 

あら、なんだ。目、開いてたの。寝てるのかと思ったわ

私はもともと腫れぼったい一重で、目が開いてないように見えるのをずっと気にしていました。まさか保健室で、しかも初対面の先生からこんなひとことを言われるなんて。

この日以来、私はめったに保健室に行かなくなりました。

🏫中学時代:いなかった養護教諭

あれは、中学時代の体育祭。競技がすべて終わった直後、私は日射病で倒れてしまいました。担任と教頭先生が懸命に対応してくれたことは、朦朧とした意識の中だったけど、今も覚えています。でも、養護教諭の姿はなかったような…。

いやいや、あのときは意識が朦朧としていたし、記憶違いかもしれない。

 

私が養護教諭として働き出して何年か経ったある日、母に「あのとき保健室の先生っていた?」と聞いたことがあります。

母は宙を仰いで、ひとこと言いました。

あ〜……そういえば、いなかったねぇ。忙しかったんじゃない?

………いやいや。いやいやいやいや。救急搬送されるレベルの生徒以上に忙しいことって。そんなことって。

せんべいを食べるな母よ。とツッコミを入れたくなったのはもちろんですが、これで“気のせいじゃなかった”ことがはっきりしました。

🏫高校時代:足の痛みはツボのせい

そして高校時代。ある日、足の裏の痛みが強くて歩くのもままならなくなったときがありました。当時、「行っても帰らされるだけ」と噂のあった保健室でしたが、痛みが強いので、仕方なく保健室を訪れた私に、養護教諭の先生はこう言いました。

 

足の裏って、いろんなツボがあるでしょ?どっか内臓が悪いのかもね(けっこう言われたまま書いてます)。


……ツボ……内臓。

 

先生が言うならそうなのかな?と思いながら内科を受診したところ、「整形外科行ったら?」と言われる(そりゃそう)。
のちに整形外科で「足の小さな骨のズレ」(バイトの品出しで負荷がかかったせい)と診断され、正しい姿勢と貼り薬で改善しました。当時も引っかかりましたが、やはりツボ説にはあまりにも無理があります。

マジで何言ってんだあの先生。

🏫それなのになぜ養護教諭を選んだか

こうして振り返ってみても、保健室にはあまり良い思い出がありません。でも、「学校」という、多感な10代を過ごす大きな場所がつらかった私にとって、学校という存在にずっと興味は向いていたのかもしれません。

そんなふうに、「信頼できない大人」「頼れなかった保健室」の記憶が積み重なっていくなかで、少しずつ芽生えてきた想いがありました。

ーー学校にひとりくらい、ちゃんと話を聞いてくれる先生がいたっていいのに。いないなら、自分がなった方が早い。

これが、私が養護教諭という仕事に興味を持った最初のきっかけです。

最初は、単純に「学校の先生」になろうかと考えました。でも、勉強が苦手で好きじゃない。担任の先生になると、クラスの子と関わる。そんなイメージがありました。

 

そこで考えたのが「養護教諭(保健室の先生)」。

当時、保健室が「学校のオアシス」として取り沙汰され(オアシスについての良し悪しはひとまず置いとくとして)、養護教諭という存在に興味が向いたタイミングがありました。

保健室の先生なら、子どもたち全員に関われて、ケガや体調のケアもできるし、心の相談にも乗れる。いいかもしれない。少なくとも、「あの先生みたいにはならない」と決めているぶん、私にできることがあるかもしれない——。

そう考え始めたのが高校1年生の冬でした。

余談ですが、昔、「3年B組金八先生」というドラマに出てきた、高畑淳子さん演じる養護教諭が好きで、後に私の養護教諭像の原点にもなりました。

⚙️「仕事って、食べていけるのかも大事なんだよ」

高校2年生の三者面談ーー担任が貧乏ゆすりしながら「やっとまともな話ができるやつがきたか」と言い捨てます(いちいちひとこと余計な人だったなあという印象)。

 

で?おまえは将来どうするんだ

ぶっきらぼうな物言いはいつものことだったのですが、この日の私は(なぜか)ちょっとケンカ越しになってしまい、

 

はあ、保健室の先生になろうかなと思ってますけどねぇ

つい、とっさに出た一言でした。

 

ーーえ?聞いてない

うん、言ってない

寧ろ自分でも言葉にしていたことに驚いてました。まだ頭の片隅にちょこっとある程度のビジョン。意思が固まってもいない、ほとんど想像の世界のまま、まさに咄嗟に口にしていたからです。マジであのときなに考えてたんだろう。不思議。

 

帰宅後の家族会議。面談では養護教諭の存在をチラつかせたものの、ぜったい養護教諭!という熱量でもなかったのが本音。

トリマーとか、音楽療法士にも興味ある

">と言った私に、母が真顔で言った言葉が今も忘れられません。

 

あんたそれ、生活できんの?

え?

仕事は生活の手段でもあるんだよ。やりたいことも大事だけど、生活できるかも調べてみたら?

高校生の私には、リアルすぎる言葉でしたが、妙に心に刺さりました。

そして最終的に、「やっぱりこの仕事が、自分にいちばんしっくりくる」と思い、大学進学に至ります。

💡職業選択とパートナーとの関係

これは余談ですが、私の職業選択には、少し打算的な思惑もありました。

私は高校生のときからパートナーと付き合っています。そのため、職業を選択する際にはもちろん、パートナーとの未来についてももちろん頭をよぎりました。
パートナーはすでに保育士としての道を決めていたので、子どもながらになんとなく、保育士という仕事の現実を調べていました。2人で生きることを願っていた反面、いつかは別れなきゃいけないかもしれない。
そんな思いを抱えていた私は、2人でも1人でも生きていけるような安定を得られるという面で、養護教諭という仕事を決めた部分もあります。決して、子どもの頃の思いで決めたなんてきれいな理由ばかりではなかったのです。

🌈おわりに:今、養護教諭として。

出発点は、あまりポジティブなものではありませんでした。でも、働いてみて気づいたことがあります。

  • 私が出会ってこなかっただけで、子どものことを真剣に考え、日々奮闘している先生たちはたくさんいるということ。
  • そういう先生たちとチームを組んで支え合いながら子どもたちに関わる仕事は、とてもやりがいがあること。
  • 全部自分が背負わなくてもいい。一人で何かを変えようとしすぎない。

そう思えるようになってから、この仕事がもっと好きになりました。私はまだまだ未熟で、専門性ももっと磨かなくてはいけません。それでも、日々の中で、何か小さな種をまけたらいいなと思っています。

あの頃の私がほしかった「話を聞いてくれる誰か」に、少しでも近づけていたら——。
そう願いながら、今日も保健室で子どもたちを迎えています。

<グループに参加しています!>

ちなみにうちの猫さまは、過去も未来も気にせず、今この瞬間の“ぬくもり”に全力です。…見習いたいその生き様。

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