女同士のふうふです〜彼女と猫さまのあいだ〜

養護教諭×保育士の同性カップルが、猫に服従しながら生きる徒然

【LGBTQ】両親にカミングアウトした日|ふつうってなに?

こんにちは。具です。
親へのカミングアウトって、他人に言うよりハードル高いと感じる人もいるんじゃないでしょうか。他人には「こういうことだから」とある程度の説明で済むけど、親はちょっと違う。どうしても、“自分の原点”みたいなところが絡んでくるから。

プライド月間ということで、前回は制度の話をつらつらと書きましたが、今回は、同性のパートナーと生きていくうえで避けては通れない、親へのカミングアウトについてふれようと思います。

🌈カミングアウト前夜:空気を読んで、逃してきた10年

両親にそろってカミングアウトしたのは、2015年の冬になるのですが、実は、母に限ってはカミングアウトしたのは一度だけじゃありません。
人生初のカミングアウトは、高校生の頃。彼女と付き合いはじめたばかりの、ある朝。
母に車で駅まで送ってもらっている最中、様子がおかしい私を見て、母がこう言いました。

 

 

真ちゃん(※パートナーのこと)とあんた、どういう関係なの?

ドキッとしたけれど、何かを隠し続けることができる性格でもなく、思いきって「付き合ってる」と言ってみた私。


沈黙。ちょっと長い沈黙。


そして母は、静かにこう言いました。ーー「そんな話、聞きたくなかった」

そのあとは、何も言えませんでした。学校に着いて、耐えきれず泣き出す私友だちが慰めてくれたおかげで、その日はなんとか踏ん張れました。その子とは今も仲良しで、本当に感謝しています。

 

翌朝、私は母に言いましたーーー「昨日の話、嘘だからね。驚かしてごめんね」

これからの母との関係を考え、私は“なかったこと”にするという選択を取りました。母がそれを信じたかはわかりませんが、この話題にはおたがい触れることなく、10年近くが過ぎることになります。

🌈そして2015年、ふたたび

時は流れ、私は大人になり、パートナーとは交際10年目を迎えていました。
おたがい20代も半ばをすぎ、将来について考える機会も増えた中で、わたしたちは結婚式を挙げようと決意します。

もちろん法的な婚姻はできないけれど、だからこそ、家族や友だちにこれまでの感謝と、わたしたちの覚悟を知ってもらいたかった。そして、私たちなりの“けじめ”を形にしたいと思ったからです。それに、一度きりの人生。できるならやってみたい!というシンプルな気持ちもありました。ただ、親に何も言わずに式を挙げるのは、不誠実な気持ちがした。
ーーー「誰と、どんなふうに、生きていきたいのか」。ちゃんと伝えたうえで、自分たちらしく人生を進めたかった。“決意”の意味を含めて、おたがい、両親へカミングアウトしに行こうと決めました。

🌈カミングアウト本番:母の無邪気と父の肩越し

あれは寒い冬の日でした。
神妙な顔をして実家に入ると、何かいつもとちがう雰囲気を察したのか、母が無邪気な様子でこう言いました。

 母「もしかして、結婚?」

……まあ、間違ってはいないんだけど。でも、あなたの思う“結婚”とは、ちょっとちがうんです、きっと。なんて言おうかと言葉に詰まりながらも、私はこう伝えました。

 私「一緒に生きていきたい人がいる。その人は女性で…2人の思う“結婚”とは、ちょっと違うかもしれないけど……」

話しながら、勝手に涙が溢れてきました。泣くつもりなんかなかったけど、どんな反応をされるのか怖かったからです。

殴られる覚悟もしていた私に、父が無言で近づき、抱きしめてくれました。「大丈夫だ、泣くな」――その声がやけに優しくて、胸に残っています。

そして、父の肩越しに見えた母の顔。
私を睨むように見つめ、母は言いました。ーー「あんた、まだそんなこと言ってるの」
10年前に“なかったこと”にした話が、ふたたびよみがえった瞬間でした。

🌈「ふつうってなに?」から、関係の再構築へ

カミングアウトの最後、母に言われました。

 「ふつうに結婚できないの?」

私はとっさに、でもはっきりとこう言いました。

 「ふつうって、なに?」

私は人生の大半、ずっと“ふつう”について自問自答していました。
“ふつう”から外れていることはとうにわかっていたし、だからといって、他人から後ろ指をさされる意味はわからなかった。

なぜ、世間と同じロールモデルを求められなきゃいけないの?

そんな思いから自然と出た一言でしたが、これは私が、この件で唯一母に示したささやかな対抗でもありました。

あとから父に聞いた話ですが、「ふつうってなに?」ーーこの言葉が、父の心に深く刺さったそうです。今でも実家へ帰ると、時折この話が折りに触れて出てきます。

📱音信不通となった1年、そして

どうして帰ったのかは、正直記憶にありません。ですがその後の1年間、わたしたちと両親はおたがい連絡をすることなく、沈黙の時間が流れていきました。
両親にとっても、わたしたちにとっても、きっと必要な時間だったのかもしれません。

そして、1年の終わりが迫った年末ーー父、もしくは母からぽつりと届いた一通の連絡。

 「今年は帰りますか?」

その連絡をきっかけに、ふたりで帰省することにしました。

 

実家へ向かう車内、わたしたちの間での会話も自然と減ります。いざ着いても、なかなか車から降りられず深い深い深呼吸。

意を決して鳴らしたチャイム。両親そろって、ドアを開けてくれました。

 「おかえり」

その一言が、今も忘れられません。

🌈カミングアウトって、誰のため?

セクシュアルマイノリティという立場で生きるうえで、カミングアウトは避けて通れない課題だと、よく言われます。

でも振り返ってみて思うのは、カミングアウトって、する側の勇気だけじゃなくて、される側の「受けとる準備」もすごく大きなテーマだということ。

話す側は、覚悟やタイミングを何度も計って、心の整理もある程度つけて話せるけど、聞く側は、そんな準備の時間なんて、たいてい“ない”

 

あの日の母の「そんな話、聞きたくなかった」も、今なら少しわかる気がします。
想定外の現実を突きつけられたとき、人は時に拒否という反応で、自分を守るのかもしれない。だからこそ、時間が必要だったんだなと思います。


1年という距離も、あの「おかえり」という言葉も、すべてが、“受けとめる”ための時間だったのかもしれません。

カミングアウトって、関係を壊すためじゃなく、ちゃんと関係を築いていくための、一歩。でも、それはおたがいに時間のかかる一歩でいい。
なんで理解してくれないの、と思ったこともあったけど、いまは、ゆっくりでも一緒に歩けたら、それで充分だと思っています。

🌈おわりに:ふたりの暮らしと、“家族”のかたち

今、両親とは少しずつ関係を再構築しています。
いっしょに帰省したり、旅行へ行ったりと、側からみれば良好な関係に見えるかもしれませんが、わたしたちのことを完全に理解しているとは言えないかもしれません。

それでも、一緒にごはんを食べたり、季節の話をしたり、笑いあえる時間がある。

家族って、血のつながりや法律だけじゃないのかもしれない。
“理解しようとする時間”の積み重ねが、関係をつくっていく。
カミングアウトは一度で完了するものじゃなく、これからも何度も続く「問いかけ」なのだと、今では思っています。

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ちなみにウチの猫さまたち(当時)は、カミングアウトした日の夜、泣きじゃくる私を見て異変を察したのか、ぴったりとくっついて、私の上にだまって座り込みました。まるで、「難しい顔してるヒマがあったら、ナデろ」とでも言いたげに。あのときも、今も、猫さまはわたしたちのそばで、空気をやわらかくしてくれる存在です。

今日も、制度と親と猫にはさまれながら、わたしたちはちゃんと、暮らしています。

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