女同士のふうふです〜彼女と猫さまのあいだ〜

養護教諭×保育士の同性カップルが、猫に服従しながら生きる徒然

【仕事】「教員養成課程の単位削減」のニュースに思うこと|現場教員が感じる本当の問題

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こんにちは、具です。
昨日、ネットニュースで、教員養成課程の単位数を減らす方向で検討が進んでいるという記事を読みました。

news.yahoo.co.jp

【別記事では、「必要単位数を5割削減」と書かれていたもの】

『教員志望者の減少や、なり手不足への対策として、養成段階の負担を軽くする』

 

ーーえ?そこ????

今回は、現場で働く教員としてこのニュースを読んだとき違和感憤りを、できるだけ言葉にしてみようと思います。

❓単位が減ったら、現場は楽になる…の?

教員養成課程の単位数は、まぁ…多いとは思います。座学はもちろん、実習やレポート、専門科目の多さに追われる学生の大変さも、自分も通ってきた道だからこそ、一定数理解はできます。実際に、養成課程で学ぶ内容が、すべて現場でそのまま使えるかと言われれば、そうでない部分も大いにあるでしょう(私も教員になった当初は、授業と現場のギャップにびっくりしたこともたくさんありました)。

ここからは、少し感情が出ますのでご容赦くださいね。

現場に立ってる人間からすると、「しんどさ」の正体は、そこじゃねぇ。

  • 授業準備
  • 成績処理
  • 事務処理
  • 会計処理
  • 会議
  • 学校行事
  • 部活動
  • 過度な保護者対応
  • 突発的なトラブル対応

教員が日々忙殺されているものの正体です。これらは、養成課程の単位減ったところで、ほとんど軽くなりません。

大前提、私は、養成課程で学んだこと無駄だったとは思っていません。基礎的な知識や、専門性の土台は、確実に今の自分を支えています。ただ、教員が続かない理由、教員になりたい人が減っている理由は、養成課程の重さではないそのズレを、強く感じました。

⚡️現場の教員として、本当にしんどいもの

減らすべきなのは、単位じゃありません。減らしてほしいのは、

  • 業務量
  • 授業時数
  • 部活動の過剰な負担
  • 際限のない過度な保護者対応

です!

“子どものため”という言葉で、どれだけの業務が積み上げられてきたでしょうか。
“子どものため”という言葉で、どれだけの残業を強いられてきたでしょうか。
“子どものため”という言葉で、どれだけの対応を迫られたでしょうか。

何語もなく回っているように見える現場は、教員の善意責任感で回っているのです。

一日トイレに行けないなんてことは、現場にいるとめずらしいことじゃありません。忙しすぎて、とうとう水分をとることすらやめる人もいます。

そもそも、教員に休憩時間なんてありません。短いとかじゃなくて、ないんです。存在していないんです。
昼食の時間昼食“指導”の時間だし、日課に組み込まれている昼休みは、あくまで“子どもの”昼休みです。養護教諭の私からすると、昼休みが繁忙期ですから、休憩時間なんて大袈裟な言い方じゃなくて、文字通り0分です。

  • トイレに行くことさえ切り崩される毎日。
  • 職員室にいる=空きコマ=この時間、この先生は空いてる(なにも業務がない)という誤った認識。
  • 先生は、いつもいつまでも、元気で学校にいるという思い込み。

これ、本当に“子どものため”なんですか??????

少なくとも私は、いまの現場の実情を知っているからこそ、先生をめざす学生さんに胸を張って勧められる職場環境とは言えません…

💡必要なのは、職場の環境と待遇改善

教員のなり手不足しているのは、養成課程の単位数が多いことが本質じゃないんです。職場環境と待遇改善!ーーこれ一択(いや二択)です。

  • 落ち着いて座れる職員室(昭和から続く島形式の配置も変えたい)
  • ちゃんと休める休憩室(職員室では休めない。呼ばれるから)
  • 長時間のデスクワークでもしんどくない水準のPCとその周辺環境(とにかくPCスペックがよくなさすぎる。個人的には執務椅子ゲーミングチェアとかにしたい)
  • 複雑かつアナログすぎる文書管理システム(全部手作業。ミスが起きる構造すぎる)
  • お湯の出る水道の整備(水しか出ない)
  • 清潔で安心して使えるトイレ(いまだに和式・タイル張り…)
  • 外より寒い校舎内(真冬の空の下の方が温かい、なんてこともザラ)
  • 適切な空調設備(普通教室には付いてても、特別教室にはないという現実)
  • 業務量に見合った給与(特に+αの仕事を引き受けてる人には手当を…)

「給与を増やせ」と言うと、「お金目当てなのか」と言われがちですが、贅沢の話ではなくて、労働力に対して対価を払いなさいという労働の基本守ってほしいって話です。
教員というのは、あくまで職業です。仕事です。労働に対して対価を払うのは当たり前です。

余談ですが、部活動の土日指導は、3時間やろうと8時間やろうと、良くて3,000円程度です。もっと低い賃金のところもあります。大会の運営役員として遠くへ行っても、生徒が出場しない場合は、交通費のみで賃金すら発生しません。

今あげたことって、職場環境としては当たり前の話じゃないんですかね…?教員が言うとなぜか「甘えるな」と言われるという謎…。
これは、労働環境として最低ラインの話です。教員が人間らしく働けない職場で、子どもに「健やかに生きよう!」って伝えることに、いったいどれだけの説得力があるでしょう…😇

単位を減らすことで入口を広げても、出口で人が倒れていく構造が変わらなければ、単位を減らしたところで、現場で起こる結果は同じです。

🌈おわりに:現場に立つ人間として思うこと

このニュースに憤りは感じますが、私は学生や若い教員を責めたいわけではなく、むしろ、続けられる仕事にしてほしいと、心から思っています。
教員は、子どもと向き合う“仕事”です。そのためには、向き合う余力必要です。余力が削られ続ける環境では、どんなにがあっても、心も体ももちません。

本質は単位じゃない。論点をずらすな。

教員不足の原因を、養成課程に押し付けないでくれ。現場の改善に着手しない限り、この問題は絶っっっっっっっっっっ対に解決しない。

教育未来への投資です。教育にお金をかけなければ、将来の労働生産性下がるだろうに……あれ?もしかしてこの国の衰退がねらい??そんな風にも感じてしまうニュースでした。

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ちなみにうちの猫さまは、私がこんなふうに憤りを言葉にしている横で、暖かい場所を見つけて丸くなり、世界は今日も平常運転だと言わんばかりに、静かに眠っています。

【過去の「仕事」に関する記事はこちら】

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【仕事】体育科の先生と一緒に授業をした話|養護教諭として授業に関わるという選択

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こんにちは、具です。
私は普段、保健室の中へいることが多いのですが、授業に参画したい派の養護教諭です。とくに性教育にかかわる領域については、教科担任や担任の先生がT1・養護教諭がT2として入るTTの形で、一緒に授業をつくることに意味があると感じています。

保健室での関わりももちろん大切ですが、授業という場で出会える子どもたちの姿は、また少し違います。

今回は、体育科の先生と一緒に授業をして、その中で見えてきたこと、感じたことを、まとめてみようと思います。

🧑‍🏫なぜ、授業に参画したいのか

養護教諭の仕事は、「保健室にいること」完結していると思われがちですが、経験を重ねるうちに、それだけでは足りない感覚をずっと持っていました。
保健室へくる生徒は、すでに困りごとを持っている場合が多い一方で、困っているけれど言葉にできない子、そもそも相談していいと思っていない子も、教室にはたくさんいます。

とくに“性”(性教育)は、その典型だと思います。
※現在、「性教育」は「性に関する指導」と名称を変えていますが、一般的に聞きなれている「性教育」で本記事は統一します。
体の変化や性に関する疑問は、人と比べにくく、恥ずかしさもあって、声に出しづらいものです。だからこそ、授業という全体の場で、安心して触れられる機会必要だと感じています。

体育科の先生と一緒にTTで入ることで、特別な話ではなく、学習の一部として性の話ができるーーその空気感がとても大事だと思って、授業に参画したいと思うようになりました。

💡実際にやってきた、体育科の先生×養護教諭のコラボ授業

これまでの実践例

これまで、何度か体育科の先生一緒に授業をしてきました。“コラボ”なんてわざわざキャッチーな言い方をしていますが、一般的なTTの授業です。

参画した授業の内容はさまざまですが、

  • 中学1年生で習う「生殖機能の成熟」(体の変化・受精と妊娠等)
  • 中学2年生で習う「ケガの応急処置」
  • 中学3年生で習う「性感染症とその予防」
  • 時期によっては「感染症予防」としての「手洗い」

こんな感じで、体育科の先生と一緒に授業をしてきました。

基本的な役割分担は、教科担の先生T1として授業を進め、私がT2として補足専門的な説明に入る形です。教科担の先生が前に立ってくれることで、授業全体が安定しますし、私は子どもたちの表情を見ながら、「今、どこが引っかかっていそうか」拾いやすくなります。

また、体育の授業という文脈があることで、体の話自然に扱えるのも大きなメリットです。性教育だけを切り出すのではなく、運動や健康の延長として体を学ぶ。その流れの中に養護教諭がいることで、子どもたちの受け取り方も、少し柔らかくなるように感じています。

中学1年生「生殖機能の成熟」

 

りゅう先生、いっしょに授業やりましょうよ!

お。その時期ですね?いいですね、やりましょう!

日頃から先生とは生徒のことだけでなく、授業の話もしていたので、その時期が来ると、自然とTTの授業が決まります(もちろん、校長先生にも許可を得て授業へ入っています)。教科書指導要領確認し、授業の対象となる生徒の実態擦り合わせながら、授業の進め方を打ち合わせ📝

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教材準備を整えて、いよいよ授業に入ります。

 

月経のしくみは複雑だけど、今日は特別ゲストのりゅう先生が一緒にお話ししてくれるぞー。

よろしくお願いしまーす。ーーでは、さらに特別ゲストを呼んじゃいましょう。“子宮先生”ー!

子宮先生:T1の先生に、両手にボールを持った状態で、両手を水平に広げ、脚を揃えて「T」の字を描くように立ってもらうことで、女性の生殖器の構造を視覚的に理解できるように見せるやり方。かつて講師の先生に教えていただいて以来、授業で大活躍していただいています。

子宮先生T1の先生にやってもらい、月経等のしくみについて説明をしていきます。養護の出番は、50分授業のうち、後半の20分くらい。進級しても、生徒たちは、このときの話をよく覚えてくれています。

中学2年生「応急手当の意義と基本」

 

りゅう先生、包帯法と固定法・止血法のところを一緒にやってもらえませんか?

いいですね!やりましょう♪

ただ説明をするのではなく、やり方を見せた後に、ペア学習として、おたがいの体で実践してみます。

 

無言でただ巻くんじゃなくて、「大丈夫ですか?」「きつくないですか?」と声をかけてやってみましょうね。

あ、それりゅう先生がいつも言ってるやつ。

そうそう!よく知ってるねぇ。

クラスを2つの班にわけて、教科担チーム心肺蘇生法養護チーム応急手当(固定法等)を学んでローテーションするという方法を取ったこともあります。時間が許せば、レジ袋バスタオルを活用した、家にあるものを使ってできる固定法を伝えたこともありました。

中学3年生「感染症の予防」

 

りゅう先生、そろそろ性感染症のところに入ります。

お、今年もやりますか!

中3セット(水道水・透明のプラコップ・フェノールフタレイン溶液・駒込ピペット)用意して、いざ授業開始!

授業では、性感染症みえないけど広がっている様子がわかる「性感染症ひろがりゲーム」を取り入れています(これもかつてお世話になった講師の先生から教えてもらったもの)。いまでは一般的と言っても過言ではないほどに、取り入れている学校さんが増えていますね。

 

今すぐにピンとこなくても、この先、自分や周りの人が悩むときがあるかもしれません。そういうとき、相談できる場所や、できることがあります。

1年生の授業でも同じことを伝えますが、性感染症や体の変化について話すときは、怖いものという受け止めにならないよう、特に言葉選び注意しています。

  • なにかあったら、相談できる場所があること。
  • 保健室でも相談に乗っていること。
  • 世の中には選択肢が存在すること。

この3つは、授業の最後に必ず伝えるようにしています。

番外編:セクシュアルマイノリティとして登壇した経験

セクシュアルマイノリティの養護教諭というダブルマイノリティの私は、時と場合によっては、講演会のような形式でお話しする機会がたまーーーーーーーにあります。私は研究者ではないので、その道のプロのようなことはできませんが、今後も自分の経験がなにか役に立てることがあれば、役立てていきたいものです。

✏️授業後の「ふりかえり」を大切にしている理由

授業で私が特に大切にしているのが、授業後のふりかえりです📄
特に、体の成長性に関する理解は、本当に個人差が大きく、同じ説明を聞いても、受け取り方さまざまです。

そこで、ふりかえりの中でアンケートを取り、「わからなかったこと」「疑問に思ったこと」書いてもらうようにしています。名前は出さず、安心して書ける形にするのがポイント💡

 

さて、どんな感想が返ってきてるかな。

そこに並ぶのは、子どもならでは素朴な疑問です。

  • 射精のときに痛みがあると病気なのか。
  • 生理が始まらないとどうなるのか。
  • なぜ生理痛は起こるのか。
  • 精通が遅いとまずいのか。
  • 精子はどうやって卵子のところへ行くのか。

どれも、大人にとっては「当たり前」「気にしなくていい」ものかもしれません。でも、子どもたちにとって切実な疑問です。授業時間限られていますが、子どもの声にはできる限り、答えたいのが教師というもの。

 

次の授業で返せるように、授業組み立ててみたんですけど…

ありがとうございます。ーーなるほど、じゃあ、このときに復習として再度「子宮先生」を使って…

こうした声を読むたびに、「ああ、今ここで引っかかっているんだな」と、こちらが学ばせてもらっていることを実感します。

🎈授業をやってみて実感したこと

授業に入って一番強く感じるのは、生徒との距離ぐっと縮まるということです。授業をする前は話したことがなかった生徒話せるようになったり、「実は…」と悩んでいたことを話してくれたりするようになるので、授業に参画することを楽しいと私は感じています。

また、自分では見えていなかった、子ども目線の性に気づけるのも、私にとって大きな学びです。授業をきっかけに、どう“教える”かよりも、いかに“話しても、聞いても大丈夫”感じてもらえるかを考えるようになりました。

授業ができるのは、1つの単元につき、多くて2時間ーーここですべてを教え切ることは最初から無理な話です。そこで、日常的知れる機会を増やそうと考えました。たとえば、

  • トイレの個室に生理に関するよくあるQ&A掲示する(男子版も作成したい)。
  • 保健室に、ナプキン以外の生理アイテムや、避妊について学べるアイテムを置く。
  • 保健室に、性に関する絵本・漫画を並べる。

性に関わること以外のものに混ぜて、「手に取ってもいい」空気をつくることも意識しています。授業と日常が、ゆるやかにつながっていく感覚です。

こうした仕掛けをきっかけに、「この先生は、体や性の話をしても大丈夫な人なんだ」という安心感が、少しでも伝わっていったらいいなぁ。

🌈おわりに:性教育に苦手意識をもつ先生へ

性教育苦手意識をもつ先生は、決して少なくないと思います。きっと、養護教諭の中にも苦手意識のある先生はいますよね(かつての私もそうでした)。でも、できる工夫って色々あると思います。たとえば、

  • TTで分担して授業をする
  • Zoom等を使って、オンラインで保健室(養護教諭)と教室をつなげて、短時間だけ授業に参画する(保健室を離れる時間を少なくできるというメリットがある)
  • 授業の資料として、説明文や動画を作ったり、おすすめの動画教材を共有する
  • 授業でやった内容を、保健だよりでふれる
  • 保健室前にモニターを置いて、性に関するスライドをデジタルサイネージとして流して日常的に学べるようにする

できそうなところから、試しにやってみるのはどうでしょう?私も大概のことは、「とりあえず試しにやってみよう」で始まっています笑

そもそも、体の機能って複雑ですし、性の話にはどうしても個人の価値観が反映されやすい。間違ったことを言ってしまったらどうしよう、という不安もあると思います。これについては、学び続けるしかないというのもひとつの事実かもしれません。

養護教諭の場合、授業をしなくても、保健室には多かれ少なかれ、性に関する悩みをもった生徒が来室します。だからこそ、自信を持って話せるようになりたい。経験を重ねるたびに強くそう思って、SNSをきっかけに知った性教育のコミュニティに入って勉強を始め、その一環として、「思春期保健相談士」の資格も取りました✏️

www.jfpa.or.jp

学び直したことで、より自信が持てたし、授業に参画したいという思いに至ったのだと思います。

おかげさまで、毎年新しい情報学び続けることで、今では、基本的なことならなにを聞かれても答えられると思えるくらいにはなりました。さらに、授業をやることを楽しいと思えるようになったし、保健室で性の相談を受けるときも、以前ほど焦らなくなりました。

やってみて実感するのは、決して完璧ではなくとも、学び続けている大人でいることが大事ってこと。それが、ひいては子どもの安心につながるのだと思います。これからも、できるところから続けていきたいです。

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ちなみにうちの猫さまは、私が「授業のふりかえりを見よう」と広げていたプリントの上にドスンと寝転びだしました。「家で仕事なんてするんじゃないわよ」とでも言いたげに、気持ちよさそうに眠ってしまわれ、全身で作業を拒絶されたのでした…。

【過去の「仕事」に関する記事はこちら】

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【仕事・LGBTQ 】実は生徒に、一度だけカミングアウトをしたことがある話|当事者の養護教諭が、実際にした一度きりの経験と記録

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こんにちは、具です。
今日は、書くかどうか少し迷っていた話を書こうと思います✏️タイトルのとおり、実は一度だけ、自分のセクシュアリティ生徒へカミングアウトしたことがある、というお話しです。あれから何年も経ち、言葉にしてみても良いかな?と思って、今回書いてみることにしました。

今でもふと、あのときの選択がよかったのか、考えるときがあります。あの場で、あの生徒と向き合った一人の大人として、何を考え、どう判断したのか。その記憶を残しておきたいと思いました。

読む人によって、感じ方はきっと違うと思います。それでも、なにか考えるきっかけのひとつになれたらうれしいです。

※これは、あくまで私がした体験の共有です。こうした対応を推奨したり、一般化することを目的とした内容ではありません。なお、エピソードは個人の特定を避けるためにフィクション等を織り交ぜていることをご了承ください。

🏫ふだんは「カミングアウト」をしていない私

私は基本的に、生徒自分のセクシュアリティ話していません。過去に苦い経験をしたこともあり、自分の話をするリスクを考えてしまい、どうにも自分の根幹のところは、未だオープンに話せないでいます。

【関連記事】

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あれから何十年も経ちますから、もしかしたら今は、こんなことは起こらないのかもしれません。でも、過去の経験がどうしても自分を慎重にさせてしまっていることも事実。私はできるだけ、自分の属性背景について、特に職場では直接語らないようにしていました。

🎈カミングアウトをしたあの日

その出来事があったのは、ある生徒が保健室を訪ねてきた日のことでした。
はっきりとした言葉ではなかったけれど、話の端々から、その生徒が自分のセクシュアリティについて悩んでいることは伝わってきました。これまでの様子から、なんとなくそうかもしれないな、と感じていた部分もあり、特別驚いたというより、「やっぱり」という納得に近い感覚だったことを覚えています。

ただ、その日の生徒は、いつもよりずっと切羽詰まった様子でした。学校生活がとても苦しいこと、将来のことを考えると気持ちが暗くなること、「この先、楽しいことなんてあるのだろうか」と、かなり悲観的な言葉が続きました。

私は話を聞きながら、頭の中でずっと揺れていました。一般論として、「いろんな生き方があるよ」伝えることもできるけど、それだけでこの子は、今の苦しさを少しでも手放せるのかなって。

このときの私は、「意外と未来は明るいよ」伝えたいと思っていました。でも、その言葉をただ伝えるだけでは、空虚な慰めになってしまう可能性も分かっていた分、自分の話をするかどうかも、迷っていたのです。
でも、目の前にいる生徒の表情を見て、「今、この子には“生きている当事者”の実感が必要かもしれない」と思い、久しぶりに意を決して生徒に話しました。

 

話してくれてありがとう。私も同性パートナーのいる当事者だから、いま悩んでいる気持ちが痛いほど伝わる。でも大丈夫、学校のこともその先のことも、一緒に考えてみよう。

💬カミングアウトした理由

このときの私が一番に考えたのは、生徒の安全でした。
それは、今この場をやり過ごすことだけではなく、この子が大人になったときの自分を、少しでも想像できるようになること。

生活している当事者が実際にいるーーその事実を、頭ではなく、実感として持ってほしかったのです。

私は、自分のセクシュアリティについて、淡々と話しました。

  • 子どもの頃、同じように悩んだことがあること。
  • 大人になっても、悩みがゼロになるわけではないこと。
  • でも、それでも生活は続いていて、選択肢は思っているよりずっとある、ということ。

生きるのって、案外楽しいよーーその一言を伝えたくて、私は自分の経験を差し出しました。特別な言葉を言ったわけでも、勇気づける演説をしたわけでもないけど、ただ、絶望しかないわけじゃないということは知ってほしかったという気持ちでした。

🎓生徒の反応

生徒は、一瞬だけ驚いた表情を見せました。でもすぐに、食い入るように話を聞いてくれました。相づちを打ちながら、自分自身の気持ちも、少しずつ言葉にしてくれて、堰を切ったようにというのはまさにこういうことを言うのだなと感じたものです。

この一件で、特別劇的に、何かが解決したわけでもありません(学校としてできそうなことは、他の先生へ打診したり、できるところを工夫したことはありましたが)。ただ、確かに、会話の温度変わったのを感じました。

今こうして振り返ってみても、この行動やあのとき掛けた言葉正解だったのかどうかは分かりません。でも、「この子に言えたことは、よかった」と思う気持ちも、確かにあります。

それでも、私はこの一件以来、未だカミングアウトはできないというのも本音

価値観の違う大人からの、過剰な攻撃のおそれ。
過去に、上司から箝口令を敷かれた経験

それらを思い出すと、どうしても恐れが先に立ってしまうのです。

でもいつかは、苦い経験も含めて、自分が歩んできた経験やそのときに感じた気持ち、それでも今、前を向いて生活していることを、何も恐れることなく、話せる日がきたらいいなと夢見ています。

🌈おわりに:カミングアウトを受けたときに気をつけていること

 

先生、俺ってキモイかな?

何年経っても、時代が変わりつつあっても、セクシュアリティで悩む子どもは今も確実に存在しています。そしてきっと、ご家族も人知れず悩んでいるかも知れません。

そんなことないよ。大丈夫、一緒に考えてみよう。

今までいろんな生徒から話を聞きましたが、直接的な言葉カミングアウトを受けることの方が少ないです。自分で言葉にすることをためらっているのかもしれないし、言葉を聞いた相手から過剰な反応をされることを恐れてのことかも知れない。だから、言葉で言わせようとするようなカミングアウトにならないよう、注意を払っています。

そもそもカミングアウトは、武器でも、魔法でもありません。話すことも、話さないことも、それぞれに理由があって、だからこそ、それは常に選択であって、義務ではないということを忘れてはならないと思います。

でも、ときには自分の話織り交ぜて話します。せっかく心を開こうとしているのに、こちらが頑なに心のとびら開けないようにしていると、本質を話してくれなくなってしまいますから。

そのため、信頼できる先生には、自分の話をしておいて、もし生徒からカミングアウトを受けて、必要と感じたら、私の話をしてもらって構わないと言うこともお伝えしています。こうして伝えておけば、アウティングにはあたらないので、先生方としても安心かな、と思ったからです。実際、これによって生徒が保健室へ足を運ぶ機会増えたこともあります。

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ちなみにうちの猫さまは、私がこんな真面目な文章を書いている横で、まったく関係ない顔をして「ごはんまだ?」という圧をかけてきます。パートナーがちゅ〜るをあげてくれ、大満足なご様子でした。

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